「あつっ…」
静かな店内に、私の声が響く。
そろそろと飲んでいた紅茶の流し込む加減を間違え、ぴりっと舌に痛みが走った。
「火傷した?」
マスターが心配して、食器を拭く手を止めた。やだ、恥ずかしい。
「大丈夫です。すみません」
私はピリピリする舌の痛みを我慢して、笑って答えた。でも、きっと顔は引き攣っていたはず。極度の猫舌の私は、熱いものを飲む時は慎重に飲むようにしているのに。
いきなり顔をあげるんだもの。
本を読んでいた彼がいきなり顔をあげ、目が合った驚きで紅茶を流しこむ手元が狂った。
「はい。お水」
痩せ我慢はバレていたようで、マスターは笑いながらお冷を出してくれた。
「すみません……」
私は小さく身体を縮めて出されたお冷を口に含む。
お冷を飲みながらチラリと8番テーブルに目をやると、彼はもういつものように本に目を落としていた。もし笑われたら、それはそれで恥ずかしかったけど、まったく興味なしっていうのもどこか悲しい。でも、どうやら私は彼の一時の興味すら引けなかったみたい。
目が合っただけで火傷をした私と、いつもと変わらない彼。
この恋の行方は、もはや先が見えている気がした。
「480円になります」
レジで彼からコーヒーの代金を受け取る。
いつもは奥さんがレジを担当しているのだけど、奥さんはお出かけ中。だから、私が代わりに代金を受け取った。 彼のすらりとした指からコインを受け取る。かすかに触れた指先に心がときめいた。
さっき、この恋の行方が悲しいものだと思ったばかりなのに。バカな私。
500円玉を預かり、20円のおつりを渡す。彼はそれを無造作にポッケに突っ込むと、ドアへと身体をむける。私は、その姿を見送るように「ありがとうございました」と頭を下げた。
「火傷、お大事にね」
下げた頭に少し笑いを含んだニュアンスの低音ボイス。
「え?」と顔を上げた時には、もう彼は扉の外。残念なことに話しかけてくれた彼の顔を見逃した。でも、彼が私の火傷を気にとめてくれていたことが分っただけで、私の心は天に昇っていく。
ホント、私って現金な子。たった一言でここまで上昇するとは。 まだぴりぴりと舌先が痛むのは、もう気にしない。
私の火傷は480円で手当完了。
梅雨時の夜は意外と冷える。
この時期、私は毎晩ホットの紅茶やミルクを飲んでから寝る。だけど、今晩は火傷した舌のためにアイスで頂く。せめて、身体が冷えないように「はちみつジンジャーティ」を作り、飲み口いっぱいに氷を入れたコップに注ぐ。よし、ハニージンジャー・アイスティの出来上がり。
出来あがったアイスティを飲みながら、風呂上がりのお手入れにシアバターを身体に擦り込む。ひと通りお手入れを終えると、ベタついた手を洗い窓のブラインドを少し上げた。
窓の外はしとしとと雨が降り続けてる。
いつもは嫌いな梅雨の雨も今年は気にならない。 むしろ、いつもより長く続いて欲しいと思うのは彼のせい?
「明日も雨が降りますように」
お天気の神様にお願いして、私は部屋の明かりを消した。
2011-05-14
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