雨の日は一緒に 


哀鍵

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 私がバックヤードから戻ると、絢斗さんはカウンターに腰掛けマスターと雑談していた。    

「すみません。お待たせしちゃって」

 動揺が収まるのを待っていたから、少し時間がかかってしまった。私が謝りながら近寄ると、絢斗さんはカウンターに置かれた袋を持って立ち上がった。
   
「ほら、これ。マスターが作ってくれたよ」
「え?」
「麻友ちゃん、ここの玉子サンドが好きなんだってね」
「あ、はい…」

 袋の中身はテイクアウトのサンドイッチだった。ここの玉子サンドはフライパンで薄焼した卵と、薄くスライスしたきゅうりが挟まっていて少し変わっている。私はそれが好きで、よくお昼に作ってもらっていた。    

「今日、元気なかったから。ふたりで食べて元気だしなよ」

 マスターがカウンターの中で笑って言う。
 もう、ホントどこまで心配かけているんだろう。申し訳ないという気持ちと、元気がなかったことをバラされてしまったことに少し苦笑いしながら、私はマスターに頭を下げた。    



 絢斗さんの部屋は、あの日と同じ相変わらず殺風景な部屋だった。私たちは部屋に着くと、コーヒーを入れサンドイッチをローテーブルに広げた。
   
「へえ、変わった玉子サンドだね」

 絢斗さんはサンドイットをひと切れ手に取り、中身をちらりと覗いて口に入れる。

「でも美味しいんですよ。私、家で真似して作ってみちゃった」    
「うん、確かに美味しいね」

 二人分のサンドイッチはあっという間になくなり、それと同時に会話が途切れた。この間は気にならなかった沈黙が、今日はやけに居心地が悪い。でも、その沈黙を作っている原因は私。
 身の置き所がなくて身体を丸めるようにソファに寄りかかり、カップのコーヒーをちびちびと飲んでいると、ソファに座っていた絢斗さんがカップをテーブルに置いた。
   
「今日、元気なかったんだって?」

 さっきマスターが言ったことを、「どうかしたの?」と確認するように聞かれた。

「そんなことないですよ。マスターの気のせいです」
「そうかな。僕も、マスターと同じに感じるけど?」

 じっと見つめる瞳に私の嘘は見破られていた。私は、心の底まで見破られないように慌てて目を逸らす。その逸らした視線の先に、バックと一緒に置かれたあのバラの花。   
     
「あの、花瓶ってありますか?」

  私は、バラを持ちキッチンへと逃げた。

「え…ああ、花瓶?」

 絢斗さんは少し考え、私の後を追ってキッチンに来ると食器棚からシャンパングラスをひとつ出した。
   
「花瓶はないなぁ。これで代わりになるかな」
「え、いいんですか?花瓶にしちゃって」
「いいよ。あっても使うこともないから」 

 絢斗さんはそう言いながら、シャンパングラスの口いっぱいまで水を注いだ。    
 私はセロファンとアルミ箔を外し、グラスにバラをさす。さっきまでセロファンの中で窮屈そうだったバラが、気持ち良さそうに葉を広げた。まだ蕾の花も、すぐに華やかに花弁を広げるだろう。

「絢斗さん……」
「ん、何?」
「今晩…、泊まってもいいですか?」    

 シンクにかけていた手が震えた。
 ここに泊めて欲しいということは、「抱いて欲しい」と言っているのと同じこと。自分からそんなことを言うなんて……。
 でも、今日はどうしても絢斗さんをもっと傍に感じたかった。この不安な気持ちを打ち消して欲しかった。聞いて確かめることが出来ない私は、身体を重ねることで、絢斗さんの気持ちを確認したかった。
   
「麻友……」

 少し驚いたような声が聞こえて、はっとする。

「ご、ごめんなさい。やっぱりいいです」    

 私、何言っているんだろう。それに、絢斗さんは今日出張から帰って来たばかりじゃない…。きっと迷惑だ。呆れているかもしれない。
 慌てて前言撤回すると、絢斗さんの腕がふわりと私の身体を包んだ。

「泊まっていって。僕がお願いするつもりだったのに…ごめん」
   
 背中から抱き締められた腕も、気を使ってくれた言葉も優しくて。私は目頭に浮かんでくる涙を必死で堪えていた。



   
『会社があるから出掛けるよ。鍵はテーブルの上に置いておいたから、それを使って。あと、鍵は返さなくていいから。麻友用に持っていて』

 夢うつつの中、絢斗さんの声が聞こえた。
 目が覚めると、隣りにはもう誰もいなかった。
   
「絢斗さん、好き…好き」

 昨晩、私は何回この言葉を言ったのだろう。その度に、絢斗さんは必ず言葉を返してくれた。何度も何度も繰り返し、「好きだよ」と。「可愛い」と。そして、「ごめんね」と。その言葉を思い出すと、余計なことまで考えてしまい、また不安が襲ってくる。
 私は、起き上がり下着をつけるとベッドから抜け出した。寝室を出てリビングへ行くとローズの甘い香りが広がっていた。    

「咲いてる…」

 昨日、蕾だったバラはキッチンカウンターの上で、優雅にオレンジの花びらを緩めていた。みずみずしく柔らかな花びらは、カーテンから差し込んだ朝日を浴び眩しいほど輝いている。
 ローテーブルの上には、メモと一緒に鍵が置いてあった。

『麻友の合鍵だから、いつでもここに来ていいよ』

 こんなに優しくされて、私は何が不安なんだろう。でも、優しくされればされるほど、私は不安になってしまうのだった。

「絢斗さん……」

 堪えていた涙がぽとりとメモ紙の上に落ちた。



 

 

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2011-06-21


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