雨の日は一緒に 


アスファルトのドット柄

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 絢斗さんと一緒に見るはずだった映画をひとりで見た。部屋を暗くして、大好きな紅茶とお菓子を用意して。薄いブランケットを膝にかけ、ひとりぼっちの上映会。
 大好きな映画なのに、始まった途端に涙が出てきた。そばに置いたテュッシュで何度も何度も涙と鼻水を拭う。
 
「痛い……」

 目元も鼻の脇もヒリヒリとしてくる。もう、映画を消して布団に潜り込んでしまいたかったけど、どっちみち泣くことには変わりないんだもの。せめて、映画の主人公の幸せな結末を見届けたい。



 昨日、絢斗さんからメールが届いた。

『あと二日で帰るから。今度こそ美味しいロールケーキを買って帰るよ』

 絢斗さんはまだ何も知らない。私が、絢斗さんとあの人が付き合っているって知ってしまったことを。一緒に住む家の設計図を書いているということを。
 家を建てるんだもの。きっと、ふたりは結婚するんだと思う。

 私はなんだったんだろう。あの人の言った通り、遊びだったの? 「お試し期間」が終わったらサヨナラする予定だったの? 
 それなら…、どうして合鍵まで渡してくれたの? あんなに優しくしてくれたのは、全部ウソだったの?
 もう、わからないことだらけ。

 画面の中の主人公が、苺を食べながらシャンパンを飲んでいる。私の好きな場面。

『シャンパンって苺を食べながら飲むと美味しいんですか?』
『へえ…どうなんだろ。残念ながら試してみたことないよ』 

 私は、苺を食べながら飲むシャンパンの味は知ることは出来なかった。そのシーンを見ながら、絢斗さんが「一緒に見よう」と言ったことを思い出し涙が零れる。

 絢斗さんに優しくされればされるほど何故か不安になっていた。それは、根っこのところでずっと疑問があったから。
 彼みたいな素敵な人が、どうしてごく普通の私なんかを好きになったのか、ずっと不思議でならなかった。見た目も普通で、仕事だってアルバイトだし。たぶん、ううん、絶対釣り合っていないもの。
 
 絢斗さんの隣に相応しいのは、あんな人。あのオレンジのハイブリトティ・ローズのような綺麗で颯爽としていて、仕事も出来そうで自信に充ち溢れている人。
 そして、絢斗さんはちゃんとその人をお嫁さんに選んでいた。


 でもね。でも、私は心のどこかで信じているの。

『麻友ちゃん、好きだよ』

 絢斗さんが言ってくれた言葉、私に向けてくれた笑顔は嘘じゃないって。この映画のように、最後にはハッピーエンドなるんじゃないかって。
 抱きしめてくれた腕の温もりも、触れ合った唇も嘘だって思いたくない。思いたくないよ。 



 メールを返さなかった私に、その後もメールが何回か届いていた。電話もかかってきた。
 でも私は、怖くてメールも返さず電話も出ていない。本当は、ちゃんと聞くべきなのかもしれないけど、聞いてしまえばきっと終わりになるから。こんなの良くないってわかっているけど、終わってしまいたくないから。

 だって、好きなの。すごく、好きなの。

 ひとりでいても、大好きな小物や花やお茶に囲まれていれば、幸せな気持ちになれるかと思っていたけど。ダメだった。あんなに大好きな物たちも、私を元気にしてくれない。
 見付けてしまったの。知ってしまったの。もっと大好きなものを。

 でも、その大好きなものは決して手に入らないって、わかった。
 
「絢斗さん……」

 いつの間にか終わっていた映画。私の目は涙で曇って、幸せなラストシーンを見ることは出来なかった。





 翌日から、私の就職活動が始まった。本当なら、もっと早くに始めていなければならなかった。いつまでもアルバイトじゃいけない。早くちゃんとした仕事に就くべきだって思っていたのに、すっかり恋にかまけて忘れていた。
 絢斗さんとこんなことになってしまって悲しいけれど、もう一度自分の人生を見つめ直す時と思って頑張らなくちゃ。

「目、腫れちゃった…」

 泣きはらした目を冷やしたタオルで押さえ、私は仕事探しの準備を始める。まずは、求人雑誌に載っている会社にアポを取らなくちゃ。そして、ちゃんとOLに戻る。
 壁には、数年前に着ていたリクルートスーツがかかっている。黒いパンプスも出しておいた。髪をひとつにまとめた就活スタイルにして化粧で腫れた目を誤魔化す。

 今は忘れなくちゃ。
 こんな辛いことがあっても、生きていくためにはしなくちゃいけないことがある。 今は、仕事を探すことが最優先。
 全部終わってからゆっくり悲しめばいい。ちゃんと絢斗さんにお別れをして。


 でも、前向きに生きていこうとした私に、現実は厳しかった。 訪問した会社で毎回同じことを言われる。

「資格は持っていないの?」
「ただ事務が出来る子はたくさんいるからね」

 久しぶりにパンプスを履いて、たくさん歩き回ってなんの成果もなく疲れただけ。自信を失っただけ。 
 私は誰にも必要とされていないのかな。社会にも、絢斗さんにも。

「い…痛っ…」

 ずきずき痛む踵を見ると、履きなれないパンプスで皮が剥けて血が滲んでいた。アパートを目の前にして、私はガックリと地面に膝をついた。

「もう…、やだぁ…」

 私って、あの人みたいに颯爽と歩くことすら出来ないんだ。情けないよ。
 地面にポツリと水滴の染みが黒く跡をつけた。アスファルトに出来たドット柄。私の零した涙だけじゃない。追い討ちをかけるように、ポツポツと雨が降ってきた。
 こんなに冷たく感じる雨は初めてで、蒸し暑い時期なのに何故か寒い。心が身体がどうしようなく寒くて冷たい。両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ私に、冷たい雨が容赦なく降り注いだ。
 お願い。好きだった雨の日まで嫌いにさせないで。私と絢斗さんの思い出を冷たくさせないで。

「麻友ちゃん」

 かけられた声とともに、冷たい雨が遮られた。目の前に黒い革靴。

「あや…と…さん」

 絢斗さんだった。紺色の傘を私に差しかけてくれているのは、スーツ姿の絢斗さんだった。

 

 

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2011-06-28


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