雨の日は一緒に 


苺とシャンパン、そして玉子サンド

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 シャワーのバルブをきゅっと締めて、私はバスタオルで身体を包み脱衣所に出た。
 絢斗さんの家でシャワーを使うのは3回目だけど、家でお風呂に入るようにシャンプーまでするのは初めて。もちろん、お化粧も落としたし、この後着替えるのはパジャマ。

―― えっと、こういう場合…下着はどうしたらいいんだろう。

 ブラを手に悩んだ。だって、いつもはお風呂の後には下着はつけないんだもの…。
 少し悩んで、私はバスタオルを床に落とした。洗顔したスッピンの顔に化粧水をはたき、ドライヤーで軽く髪を乾かしてようやく脱衣所から出る。結局、下着はちゃんとつけることにした。

「出ました……」

 廊下からリビングに戻り、そろりと顔を覗かせる。先にシャワーを済ませていた絢斗さんはTシャツにスウェットを着てソファで寛いでいた。首にはまだタオルを下げたままだけど。
 うう…、素敵な人って、そんなルーズな格好でも素敵なのね。 家のお父さんとは大違いだわ。しばし、その姿に見惚れてしまう。

「そんなとこにいないで、こっちにおいで」

 私に気づいた絢斗さんは笑いながら手招きをした。

「はい…」

 私は、絢斗さんのとなりの腰をおろした。
 今日の午後、絢斗さんは家まで車で迎えに来てくれた。私は1泊ぶんのお泊りセットと一緒にここに来た。

「おなかすいた?」

 ローテーブルの上には、絢斗さんリクエストの玉子サンドと私が希望した苺が並んでいる。さっきふたりで一緒に買い物に行き、揃えた材料で私が玉子サンドを作った。よく冷やした苺はヘタを取ってガラスの器に盛りつけ、シャンパンはまだ冷蔵庫で冷やされたまま。

「んー、少しだけ」
「じゃあ、このくらいで丁度いいかな」
「はい」

 買い物の途中で食事をしたばかりだったから、このくらいの量で充分だった。

「じゃあ、そろそろ上映会を始めようか」

 絢斗さんがパッケージの蓋をぱかっと開け、取り出したDVDを大型テレビに挿入する。

 ふたりの上映会が始まった。




 軽快な音楽とともに始まった映画。テンポ良くお話は進んでいく。

「ここだね」

 あの苺とシャンパンの場面になると、絢斗さんはソファから立ち上がりキッチンへと向かう。そして、シャンパンとふたつの冷やしたグラスを持って戻ってきた。

「はい。―― 僕たちも試してみよう」

 薄い黄金色の液体が、小さな泡粒と一緒にグラスの注がれる。絢斗さんはふたつのグラスに注ぎ終わると、テーブルの苺を一粒持って私の口元に寄せた。

「麻友ちゃん、あーんして」
「え、えぇっ」
「ほら、恥ずかしがらないで」

 少し悪戯気に笑いながら唇に押し付けた苺を、私は小さく齧った。口に甘酸っぱい味が広がる。絢斗さんは残りの苺を自分の口に放り込み、「飲んでみて」と私にシャンパンを飲むように促した。

「どう?」
「うーん…」

 正直、よくわからなかった。私は、もうひとつ苺を齧りシャンパンを飲む。それでも、イマイチわからない。また苺を齧り、シャンパンを飲もうとした時。

「そんなにハイピッチで飲んじゃダメだよ」

 絢斗さんに苦笑されながら止められた。

「今日は大事な話があるから、麻友ちゃんが酔うと困るんだ」
「大事な話し…ですか?」

 胸がドキリとする。
 絢斗さんはシャンパングラスをテーブルに置くと、真剣な顔で私を見つめた。

「僕さ、会社を辞めて神戸に戻ることにしたんだ」
「―― え…」

 目の前が真っ暗になったような気がした。

「ああ…、心配しないで。それで、もし、麻友ちゃんが良ければ…僕と一緒に来て欲しいんだ」
「え…。い、一緒にですか?」
「うん。良ければじゃなくて…。―― 来て欲しいんだ、神戸に」

 映画なんて、もう目にも入らなくなっていた。




「実はね、ある個人住宅のデザイン賞があって、それに応募したんだ。そうしたら、佳作に選ばれた」
「すご…い。おめでとうございます」
「ありがとう。でも、これは麻友ちゃんのお陰だよ。ずっと何も書けなかったのに、麻友ちゃんと知り合って素直に思いついたまま書いてみたんだから」
「そんなこと…」

 絢斗さんがずっと思い悩んでいたことが解決したのは、素直に嬉しい。でも、それはもともと持っていた実力だもの。私なんて、きっと切欠に過ぎないと思う。

「でもね、どうやら会社としては面白くなかったみたいで。ほら、この間、麻友ちゃんが泊まった時呼び出しがあったの覚えている?」
「はい」

 もちろん覚えていた。私が不安になったあの電話。

「あの時、会社では半ば職場放棄しているのに、こんなことをしてどういうつもりだって怒られたよ。まあ、確かにそうなんだけどね」

 絢斗さんはそこまで言って、口を潤すようにシャンパンを飲んだ。

「そんな時、たまたま実家のある神戸に出張が重なって、大学の先輩がやっている設計事務所から声がかかったんだ。デザインを見たから一緒にやらないかって」
「気持ちはすぐに決まったんだけど。そうすると神戸に戻らなくちゃいけなくなる。その時はまだ、麻友は喫茶店で働いていたし…。どうするものかって考えていたんだ」

 「遠距離は嫌だしね」と、絢斗さんは私の手をとり自分の頬にあてた。

「でも、久しぶりに喫茶店に行った時、マスターに言われたんだ。『店を閉める予定だ』って。本当は麻友に言ってからって思っていたみたいだけど、あの時、麻友の様子がおかしかったから先に僕に教えてくれたんだ」

 絢斗さんは、「ここまでのところ、わかってもらえた?」と聞く。私は驚いて言葉も出せずに固まっていたけど、その言葉に慌てて頷く。

「はい。びっくりしましたけど…」

 私がぐずぐずと悩んでいる間に、こんなことが起こっていただなんて。でも、話はまだ続いていた。

「そうだよね。でも、もっとびっくりさせちゃうかもしれない」
「え…」
「最後の出張…。実は、本当は出張じゃなかったんだ。あの時、実家に会社を辞める了解をとって、向こうで住む家を探していたんだ」

 麻友と一緒に住む家。絢斗さんはそう続けた。
 私が絢斗さんを信じずに泣いていた時、絢斗さんは私との未来を考えていてくれた。離れてしまわないように、ずっと一緒にいられるように動いてくれていた。

 胸が熱くなる。

「麻友ちゃん。向こうでも仕事は探せるし、あの喫茶店みたいな店が良かったら、神戸には麻友が好きそうな店はたくさんある。いや、働かなくてもいいんだ」
「絢斗さん…」
「こんな格好で言う言葉じゃないけど、向こうで結婚して一緒に暮らして欲しいんだ」

 絢斗さんは「ダメかな?」と、いつものように聞く。そんな時、私の答えはいつも同じ。

「だ、ダメなわけないです」

 あまりにも思いもよらないことに、声が震えた。
 私が、絢斗さんと結婚するなんて…、絢斗さんの奥さんになるだなんて。嘘みたい。

「ごめんね。不安にさせて泣かせちゃったけど。これで、帳消しにさせて」

 絢斗さんは、両腕を私の背中にまわし包むように抱き締め、少し掠れる声でお願いをする。

「もう、謝らないで…ください…」
「うん。―― 麻友ちゃん、一緒に来てくれる?」

 私は絢斗さんの腕の中で、無言で頷いた。
 偶然にもその時、画面の中の彼女も素敵な王子様にプロポーズをされていた。昨日は涙で見れなかった幸せな結末。今日はちゃんと見ることが出来た。

 ――― 彼女と同じに素敵な王子様の腕の中で。

「麻友ちゃん。好きだよ」

 いつの間にか涙が零れていたみたい。絢斗さんが目元に唇を寄せてキスで涙を拭う。

「私も…すき」

 唇が重なった。絢斗さんの優しい蕩けるようなキス。背中を這う熱い手。 


 その晩。私たちは出会ってから一番熱く、幸せ時を過ごした。





 

 

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2011-07-09


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