雨の日は一緒に 


初恋の終わる時

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 絢斗さんの実家は、想像と違って純和風の大きな家だった。

「お、大きな家ですね」

  余りにも立派すぎる家にくらりと眩暈がしそうになる。神戸の高級住宅街にある数寄屋造りの住宅を見上げ、私の声は上ずった。

「住んでいる人は僕と同じだから大丈夫だよ」

 絢斗さんは竦めた私の肩に手を置くと、開けた門をくぐるように促す。
 絢斗さん、その言葉は全然フォローになってません。絢斗さんみたいな家族がいると思うから緊張しているんじゃないんですか…。

「そ、そうですよね…」

 私はアハハと頬を引き攣らせた笑いをしながら、絢斗さんの実家の門をくぐった。



「こちらが、この間話した戸田麻友子さん」

 すでに、家族の人には私のことを話していたらしく、リビングに通された私はすぐにご家族に紹介された。

「初めまして、戸田麻友子です」

 私は目の前にずらりと並ぶ絢斗さんのご家族に頭を下げた。
 絢斗さんの家族全部で4人。お父様とお母様、お兄さんと少し年の離れた、私より年下と思われる妹さんがいた。

「そんなに緊張なさらなくても大丈夫よ。どうぞ、おかけになって」
「は、はい」
「ほら、麻友。ここに座って」

 私は、絢斗さんと並んでリビングのソファに腰を下ろす。「ふぅ」と一呼吸し、絢斗さんの家族を見て私は気づいた。
 黒い髪、黒い瞳。絢斗さん以外は皆、この家のように純和風な面立ちのことに。そして、優しい視線の中にひとつ。冷たく睨む瞳があることに。
 そして、その瞳に気付いた瞬間すぐに逸らされた。

「イヤ…、私は絢兄さんが結婚するのなんて、認めないから」

 ガタンと、椅子が倒れる音と冷たい言葉にビクンと身体が震える。

「沙良…やめなさい」
「イヤっ!絶対にダメなんだからっ!」
「こらっ、沙良っ」

 私を睨んでいた瞳はすぐに涙で曇り、絢斗さんのご両親が窘めるのも聞かずにリビングを走り去る。
 私はあまりにも突然のことに、どう反応していいのかもわからず呆然とするだけ。ただ、あの妹さんが絢斗さんのことを凄く好きなんだ、ということだけは痛いほど分かってしまった。

「ごめんなさいね、麻友子さん。びっくりさせちゃって。本当に、しょうがない子なんだから」
「―― いえ…」
「あの子、兄弟がふたりいるのに絢斗の方にばかり懐いていて」

 お母様も、絢斗さんのお兄さんも苦笑いをしている。もし、お母様の言う通りならお兄さんも辛いよね…。

「違うよ。そんなんじゃないよ」
「え…?」
「沙良は…僕を守っているつもりだったんだよ。―― きっと」

 隣に座っていた絢斗さんは、沙良さんが倒した椅子を直しに立ち上がった。

「絢斗……」

 絢斗さんの言う言葉に、それまで苦笑いをしていたお母様とお兄さんは笑いを納め、少し困ったような顔をした。




 あの後、空気は少し気まずくなったけど、お父様がこっちに引っ越してからの予定を聞いてきたりして、ごく普通の会話が進んだ。
 私たちは1時間ばかりリビングで話し、夕食が出来るまで絢斗さんの部屋でも…と言われ、今、絢斗さんの部屋にいる。

「麻友、疲れた?」

 部屋に入るなり絢斗さんは私を引き寄せた。緊張から解き放たれ、私は、ようやくホッと肩の力が抜けた。と同時に、さっきのことを思い出した。

「ううん。あのう、沙良さんって絢斗さんといくつ違うんですか?」
「さっきは悪かったね。−−沙良は兄貴とひと回り、僕とは10違うよ。まだ、子供なんだよ」
「妹さん、この結婚に反対……なのかな…」
「大丈夫。反対なんてしてないよ」
「でも…」
「沙良は、まだ僕を守っているつもりなんだよ」

 絢斗さんは、さっきのお母様たちと同じように少し困ったような顔で笑った。

「守る…?」

 私は、意味が分らず首を傾げた。

「沙良はね、ずっと僕だけ家族じゃないって思っていたんだよ。ほら、僕だけ全然似ていないでしょ?」
「あ…」
「もちろん、血の繋がった家族だよ。両親や兄は分かっていても、年の離れた妹には僕だけが違って見えていたんだろうね。だから、必要以上に僕を気にして家族の中から飛び出さないように、いつも僕の傍にいたよ」

 まるで小さなボディガードみたいにね。と絢斗さんは笑った。
 私は、その話で絢斗さんの子供の頃の苦しい思い出が、自分の想像以上だったことを知りショックを受けた。

「きっと自分の手が届かなくなるのが不安なんだよ」

 絢斗さんは私の髪を撫でながらそう言ったけど、私はそれだけじゃないような気がした。



 結局、夕食の時にも妹さんは部屋から出てこなかった。

「遅くなっちゃたし、麻友子さん良かったら今日は泊まっていって」

 お母様の親切な申し出に甘え、私は絢斗さんの家に泊まることにした。絢斗さんの家は、私の実家とは違い余っている部屋がちゃんとある。私は客間に部屋を用意してもらった。

「絢斗。麻友子さんひとりじゃ寂しいでしょうから、貴方も客間に寝なさい」

 お母様は布団のシーツやらパジャマを用意しながら、絢斗さんに当たり前のように言った。

「わかったよ」
「じゃあ、お布団は二組用意するから。―― でも、変なことしちゃだめよ」

 ふざけて言ったお母様の言葉に私の胸がドキンと鳴る。私が絢斗さんのところに泊まる時は、いつもそういう感じになっていることを知られているような気がした。
 でも、絢斗さんは「はいはい」と何でもないように返事を返している。私は、お母様の顔が見れずに黙って俯いていた。

「麻友。そんな顔したらバレちゃうよ」

 パタンと扉が閉まると、絢斗さんは俯いている私の顔を上げさせた。

「でも…」
「もう…そういう顔しないの。流石に今日は手を出せないんだから」

 私、どんな顔しているんだろう。絢斗さんは困ったような顔でそう言い、私に軽く口づけた。




私たちは、寝る前に飲み物を取りにキッチンへ行った。

「絢兄さん…」

 冷蔵庫を探っている沙良さんがいた。
 沙良さんは絢斗さんの隣りにいる私に気づくと顔を強張らせ、露骨に背ける。

「沙良。いい加減にしなさい」

 流石に、今回は絢斗さんも少しきつく沙良さんを咎めた。すると、沙良さんの目にはこんもりと涙を浮かび、顔はくしゃりと歪む。

「絢兄さんなんて、大っきらい!」
「沙良っ」

 絢斗さんは大きく溜息をつき、私もなすすべもなく走り去る彼女を複雑な気持ちで見送るしかなかった。
 自分が絢斗さんに釣り合うか心配だった。でも、こんな風に拒絶されるとは思ってみなかった。胸が痛い。
 どうしたらいいんだろう…。
 困惑して固まる私をチラリと見た絢斗さんは、私の肩を優しく抱き寄せて言った。

「麻友。もし良かったら、あの玉子サンド作ってくれないかな」
「玉子サンド?」
「うん。きっとお腹空かせていると思うし。……少し話してくるよ」
「―― はい」

 やっぱり祝福されて結婚したい。その気持ちは絢斗さんも同じだったみたいで。あんな態度をとる妹さんを怒っていても、妹さんを心配する気持ちもあって。辛そうな絢斗さんの表情と声色で、それは痛いほど私に伝わった。
 だから、私は今までで一番気持ちを込めて玉子サンドを作った。

「あの、出来ました」
「ありがとう。じゃあ行ってくるね」
「はい」
「麻友は先に寝ていていいからね。あ、部屋に戻れる?」
「うん、大丈夫。早く…、行ってあげて下さい」
「わかった。麻友、ありがとう」

 絢斗さんは私の額にちゅっと唇を落とし、玉子サンドを持って沙良さんの部屋がある2階への階段を昇って行った。私は、ひとりポツンとキッチンに取り残される。その肩をポンと誰かが叩いた。

「―― 和斗さん」

 お兄さんの和斗さんだった。

「ごめんね。我儘な妹で。ひとり年が離れているから甘やかされて育っちゃってね」
「いいえ。あんな素敵なお兄さんですもの。―― しょうがありません」

 私が首を振ると、和斗さんはクスリと笑った。絢斗さんとそっくりな笑い方で。

「麻友子さんは優しいね」
「そんなことありません…」
「絢斗はね、本人は欲しいかどうかは別としてだけど、恵まれていたんだよ。才能も容姿も。だから、今まで自分から何かを欲しがることなどなかったんだ。望まなくても何でも手に入ったからね。でも、それは心配でもあったんだ」
「……」
「そんな絢斗が急に帰ってきて、欲しいものがあるって言うんだ。『結婚したい人がいる。この人以外は考えられないから』って絢斗が突然言った時には、家族全員驚いたよ。初めてアイツに欲しいものが出来たんだって」

 和斗さんは、冷蔵庫からアイスティをコップに入れると「はい」と渡してくれる。

「僕たち家族は、歓迎しているよ。絢斗の心を動かしてくれた君を……」
「―― ありがとうございます」

 和斗さんの言葉は、さっき痛んだ私の心を優しく修復してくれていた。



 その晩遅く、絢斗さんは客間に戻ってきた。私は起きて待っているつもりだったけど、ウトウトとまどろんでしまっていた。
 でも、布団に潜り込んできた温かいぬくもりで目が覚めた。

「あやと…さん?」
「ごめん。起しちゃった?」

 絢斗さんは、私の身体を抱き枕のように抱き寄せる。あれ、いいのかな。一緒に寝ちゃって。でも、それより。

「沙良さんは?」
「―― たぶん…大丈夫」
「たぶん…って」
「嘘。大丈夫だよ。心配しないで」

 絢斗さんは、私の胸元に顔を埋め目を閉じる。

「早く、家に戻りたいよ」

 熱い息がパジャマを通り抜け、胸にかかる。絢斗さんが言わんとしていることはすぐにわかった。

「私も…」
「麻友。好きだよ」
「うん…」

 短い会話だけど、ただ抱き合っているだけだったけど。不思議と今まで以上に絢斗さんが身近に感じた。それは、絢斗さんのテリトリーに一歩踏み入ることが出来たからかな。
 私たちはそのまま、静かに眠りに落ちていった。



「お邪魔しました」
「いいえ。麻友子さんには嫌な思いさせちゃったわね。でも、良かったらまた来てね」
「はい」

 翌朝、早々に私たちは絢斗さんの家を出ることにした。会社に行ってしまった和斗さんはいなかったけど、お父様とお母様が見送りに出てくれた。

「じゃあ…」

 私たちが頭を下げ、駐車場の車に乗り込もうとした時、「待って」と声がかかった。沙良さんだった。

「麻友子さん。待って」

 沙良さんは、黒い髪を靡かせ私に走り寄った。

「―― 沙良…さん」

 私は声がつまった。

「玉子サンド…美味しかった。ごめんなさい、変な態度とっちゃって…」
「ううん」
「絢兄さんを…よろしくお願いします」

 沙良さんの声は震えていた。切長の瞳を縁取る睫毛には、透明の雫か微かについている。

「はい。ずっと…大切にします。沙良さんの大事なお兄さんを」

 私の声も震えてしまいそうだった。でも、泣いちゃいけないと思った。今、泣きたいのは私じゃないんだから。
 絢斗さんが、どんなことを沙良さんに話してくれたかはわからない。でも、彼女はひと晩かけて絢斗さんへの思いに決着をつけてくれた。
 私には、沙良さんの気持ちわかる。たぶん……。

「麻友。行こうか」
「うん…」

 肩に乗る絢斗さんの手。この肩に乗る幸せの重みと温もりをいつまでも大切にしよう、と私はこの時心に誓った。小さな初恋のぶんまで。




 

 

 

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2011-07-18


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