雨の日は一緒に   《絢斗編》


赤い自転車

back / top /next



 雨の日は嫌いだった。
 君に会うまでは……




「あー、雨か。今日は仕事になんねえな」
「しょうがない、今日は解散。内装関係だけ残って後は帰っていいから」

 梅雨のこの時期、雨で作業が中止になることは多い。今日も朝から雨が降っていて、現場に到着してすぐ現場監督が作業員に解散を告げた。

「じゃあ僕も社に戻ります」
「え、ああ。わかりました」

 作業員がバラバラと解散していくのを見遂げて現場監督に了解をとると、僕も早々とマンションの建設現場を後にした。

 そして、『珈琲喫茶 雨やどり』へと向かう。―― 彼女に会う為に。



 彼女を初めて見たのは、僕が現場に出てすぐだった。

 希望して現場に出たものの、実際には現場では僕はいらない存在だった。現場には下請の職人とそれを仕切る建設部の現場監督がいる。僕は時間を持て余し、それを潰すために隣接する公園にたびたび足を運ぶようになっていた。

 ようやく木々が芽吹き出し、茶色っぽい色合いだった公園が新緑に変わり始めた頃、僕はあること気づいた。
 土曜・日曜に必ず来る女の子がいる。 赤い自転車にまたがり、前カゴに買い物袋を入れて昼下がりの公園によく現れる子。

 女の子と言っては彼女に失礼なのかもしれない。きっと年の頃は20才前後なのだろう。でも女性というより、ようやく羽の抜け変わった少女から女性になりかかったような子だった。そんな不思議な透明感がある子だった。
 

 基本的に僕は女性を信用していない。昔から同世代の女の子に追いかけられたということもあったけど、特に若い女の子は苦手だった。彼女たちは騒がしく無神経で自分勝手というイメージしかなく、会社でも自分からはまず話しかけることはない。その結果、自分が「女嫌い」「クール」挙句の果ては「ゲイなんじゃないか」とまで噂されているのは知っていた。その噂の発信源は女子社員。変に色目を使って来たかと思えば、靡かなきゃ簡単に人を貶める。女の子なんてそんなもの。ずっとそう思ってきた。

―― 君を知るまでは。
 
 彼女は僕に見られていることを知らない。
 だから、ありのままの彼女を見ることが出来た。僕という人間の目を意識していない、素の状態の彼女を。


 四月から五月。日差しが暖かくなっていくにつれ、彼女の表情も明るくなっていく。春の柔らかな光を浴び、芽吹く草花のように綻ばせた笑顔に惹かれた。ようやく蕾をつけた花を見つけては何かを呟いている。遠くで見ているだけの僕にはその声は届くことはなく、ただ思いは募っていくだけ。
 君はどんな声をしているのだろう。
 何を思って微笑んでいるの?
 彼女の存在は、スカスカになっていた僕の心を柔らかな花びらで覆うように包む。

 いつしか僕の週末の楽しみは公園で彼女を見ることになっていた。

 
 だけど、それは突然終わりを告げた。
 その週は水木金と三日連続で雨が続き、僕は、このまま週末も雨が降ったら彼女は来ないのではないかと、五月の長雨を呪った。その気持ちが届いたのか、ようやく土曜には晴れ間が覗いた。
 でも、彼女は来なかった。より快晴になった翌日の日曜にも彼女は姿を現さなかった。
 それからの週末、あの赤い自転車が公園に現れることはなく、僕と彼女の時間はあっけなく消えた。
 その時、初めて気づいた。

 ―― 僕は彼女に恋をしていた……と。

 そして、その恋は気づいた時にはもう叶えることすら出来ないと。
 だから、あの珈琲喫茶で彼女を見つけた時、これは運命だと思った。この再会を絶対に逃してはいけない。そう思った。





「あつっ…」

 静かな店内に彼女の声が響いた。
 猫舌の彼女が熱い紅茶で舌を火傷したようだった。

「麻友ちゃん、お冷」
「す、すみません」

 彼女は涙目で小さな舌を水の入ったコップに浸している。

 ここに通うようになって、知らなかった彼女の一面をたくさん知った。珈琲カップが好き、花が好き、そして猫舌。珈琲にも紅茶にもたっぷりのミルクを入れるのは熱いのを冷ます為。
 窓際の一角で、彼女に気づかれないように見つめ続けた。素直な笑顔、柔らかな声、好きなものを愛おしむ姿。公園で見ていた時よりも、もっと彼女に惹かれていく。

 そして、僕のテーブルにカップを置く時の震える手、時折感じる視線。
 彼女が自分に少なからず好意を持ってくれたのはすぐにわかった。今回の火傷だって、うっかり僕と目を合わせてしまったせいだって。

「火傷、お大事にね」

 店を出ると雨が上がっていた。路地裏には彼女の赤い自転車が雨をよけるように置かれている。
 君にはありのままの僕を好きになって欲しい。

 僕がありのままの君を好きになったように。






 

 

back / top /next

 

web拍手を送る

2012-05-27


inserted by FC2 system