麻友が神戸で働き出した店は、こじんまりとした可愛らしい珈琲専門店。
以前勤めていた、昭和の名残を残す珈琲喫茶とは全然客層の違う横文字の似合う店だった。
働いている仲間もどうやら麻友より若い子ばかりらしい。
初めは不安そうだった麻友だけど、「一杯一杯手作りで落とすの」と、今ではこの新しい店をなかなか気にいっているようだ。
今日はクリスマスイブ。
僕の仕事の都合で、この日の外食はどうやら無理そう。
「私も少し延長することになっちゃったから、夜、家でパーティをしましょう」
麻友もバイトの要請を断れず、8時まで仕事をすることになってしまった。
ふたりで迎える初めてのイブなのに。
いつもと変わらないスケジュールの麻友が可哀想で、僕はなんとか仕事にけりをつけ予定より早く上がることにした。
そして、麻友を驚かせようと麻友の店に行ったのだった。
「もう、絢斗さんびっくりしちゃった」
8時に仕事を上がった麻友は、手早く身支度を終えると店の前で待っていた僕の傍に駆け寄った。
「仕事が少し早く終わったからね。それに、久しぶりに働いている麻友も見たかったし」
相変わらず麻友は、おしゃべりばかりしている学生のバイトとは違い真面目に働いていた。
ちょこちょこと仕事を見つけて動き回る麻友を微笑ましく見ていて、僕は気づいたんだ。
僕以外に麻友の姿を追う視線があることに。
「今日入っていたバイトの子はみんな大学生?」
僕は繋いだ麻友の左手を自分のコートのポケットにつっこみ歩き出す。
手袋をしていない麻友の指先は少し冷たくなっていた。
「え? うん、そう。女の子も男の子も私より年下なの」
「ふうん」
「でも、皆しっかりしているから、さっき私がもうすぐ結婚するとか聞いてびっくりしてた」
化粧も薄く、ナチュラルなイメージの麻友はもしかしたら同じ年くらいに見られていたのかもしれない。
そして、こんな日にバイトに入っているから恋人がいないとも……。
僕は、麻友のすらりとした細めの薬指をポケットの中で撫でながら聞いた。
「今日は何か買い物とかあるの?」
「んーと、予約しておいたケーキを受け取るだけ」
「そう。−−−じゃあ、ちょっと行きたいところがあるんだけどいい?」
「……? いいけど。食事の支度はしてあるよ」
外食をすると勘違いしたのだろうか。
昨日の夜から今日の食事の下ごしらえをしていた麻友は不安そうに僕を見上げる。
「大丈夫。食事は家で頂くよ」
僕は心配顔の麻友にそう言うと少し歩く速度を速めて、神戸のファッションビルを目指して歩きだした。
僕の左手には ブッシュド・ノエルの入ったケーキ箱。
そして右手には麻友の左手。
コートのポケットの中で繋がれている手はさっきと同じ左手だけど、薬指には細めのリングがついている。
「この間婚約指輪をもらったばかりなのに……」
麻友は困ったように眉をハの字にして僕を見上げた。
「でもあれは普段つけないんでしょ?」
「そうですけど……」
「これは結婚指輪をあげるまでの代理。毎日つけていて」
「はい……」
僕はファッションビルにあるジュエリーショップに麻友を連れて行くと、「いいです」と言う麻友に若干無理やり指輪をプレゼントした。
これは「虫よけ」。
そんなことを麻友に言っても、「そんなの必要ありません」とか言いそうだから言わないけど。
僕を睨む目と麻友の姿を追う熱い視線から君を守るくらいなら安いものさ。
ある意味、僕の安心料と言ってもいい。
「でも、私、絢斗さんに何も用意してなくて…」
しばらく考えるように黙っていた麻友が、困ったようにつぶやくのが聞こえた。
僕からプレゼントをもらったことで、自分は何も用意してなかったことを気に病みだしたようだ。
僕だってこんなことがなければ何も用意してなかった。
「いいよ。麻友の料理で十分」
「でもそんなのじゃいつもと同じです」
「んー…じゃあ、麻友をもらうよ」
「え……」
「今晩は麻友をプレゼントしてもらう」
腰を少しかがめ耳元でささやくと、麻友はかっと頬を染めた。
そして、恥ずかしそうに俯く。
そんな仕草を見るだけでも十分なんだけどな。
「それも……いつもと同じじゃないですか…」
しばらく無言で歩いていると、か細い声が聞こえた。
ああ、そうだね。
いつもと同じだね。
でもね。
「僕はいつもの麻友で十分さ」
ポケットから繋いだ手を出し、新しい指輪をつけた手にそっとくちづける。
手から伝わるいつも以上の温かさは麻友の心の動揺かな。
「もう…」
麻友は観念したようにつぶやく。
「さあ、急いで帰ろう。料理、手伝うよ」
「はい」
キラキラと光る街並みはそれだけで心を幸せにしてくれる。
そこに君がいてくれるだけで本当に十分なんだよ。
特別なディナーもプレゼントもなくても、ふたりで迎えるクリスマスはいつもと同じに幸せなんだから。
おわり
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