「雨、降ってきちゃったね」
電車に乗っている時から怪しかった空模様。私たちがカフェに入ってすぐ、ぽつぽつと雨がガラス窓を濡らし始めた。雨粒は次第に強くなっていき、ガラス窓に雫のカーテンが出来る。
せっかくの外の風景を見ることが出来なくなって、私は少しがっかりしながら斯波さんの言葉に頷いた。
「はい。残念です」
雨が降りそうだったせいか客足は悪く、店の中には私たちの他にはカップルらしきふたりと、中年の婦人グループしかいない。
ひっそりと静かな店内だった。
「お待たせしました」
頼んだコーヒーと紅茶はすぐにきた。私は自分の紅茶を手元に引き寄せると、ミルクピッチャーからミルクを少し多めに紅茶へ入れる。
「麻友ちゃん、掻き混ぜすぎ」
緊張していたせいか、私はカップの紅茶をくるくるとスプーンで混ぜ続けていたみたい。少し笑いを含んだ斯波さんの言葉に慌てて顔を上げた。
斯波さんは自分のコーヒーを飲みながら、私を見て微笑んでいる。余裕のある大人な感じ。ずるいよ。私だけすごく緊張している。
「紅茶はミルク派?」
「あ…いえ、どっちも好きですけど…。でも、あの…」
レモンティもミルクティもどっちも好き。でも、私は大抵ミルクティを選ぶ。それにはもちろん理由があるのだけど。
「熱いの苦手だから?」
クスクスと笑いながら言う斯波さんに、私は再び驚いた。
「どうして…」
「だって、お店でお茶する時すごく慎重に冷ましているでしょ」
「あ…」
「それに、この間は火傷してたし…ね」
うわぁ…、あれ覚えていたんだ。私は、恥ずかし過ぎて硬直した。
「僕ね、麻友ちゃんのこと結構見ていたんだよ」
「え…」
「お店の中でもだけど。それよりもずっと前から。ちょうど春くらいから麻友ちゃんのこと知ってた」
斯波さんは、カップをソーサーに置くと私の目を見てゆっくりと話し始めた。
「麻友ちゃん、お店の近くにある大きな公園、知ってるよね」
「はい。知ってます」
「僕が初めて君を見かけたのはそこ。春になって花が咲き始めた頃、土曜と日曜に自転車に乗った君をよく見かけるようになった」
そうだ。私はあの公園が好きで、春になって花が咲き始めた頃からよく行くようになった。まだOLだった頃だから、行くのはほとんど土日。たいてい自転車に乗って買い物帰りや散歩がてらに出掛けていた。
でも、なんで斯波さんがそのこと知っているんだろ。
首を傾げた私の思ったことがわかったのか、斯波さんはチケットの半券をテーブルに置いた。
「あの公園の隣で新しいマンションが建つの知ってる?」
「あ、はい」
「そこのマンション、僕の会社が建てているんだ。で、僕はそこの担当でちょくちょく現場を見に行ってる」
そう言えば、あのマンションの工事現場には半券に書かれているK建設のシートが張られていたっけ。斯波さんの社員証に書かれていた会社もK建設。この個展のスポンサーにもなっている大きなゼネコンだ。
「現場監督さんなんですか?」
「うん。ずっと企画営業にいたんだけど、訳が合って今回から現場を担当させてもらっている」
そうなんだ。現場監督ってどういうことするのかわからないけど、斯波さんのイメージとは少し違うかも。あの綺麗な手で力仕事しているのかな。
私が斯波さんの手をじっと見たのに気づいたのか、彼はクスリと笑いながら私の顔を覗き込んだ。
「もしかして、僕が力仕事しているとこ想像した?」
「えぇ。―― はい…」
「現場監督って言ってもおおざっぱな行程をチェックするくらいだよ。現場はちゃんと専門家がいるから」
「そ、そうですよね。斯波さんのイメージじゃないからびっくりしちゃった」
えへへという感じに笑いながら言うと、斯波さんは急に真剣な顔をして私を見つめた。
「ねえ、僕のイメージってどういうのかな?」
「え。…えーと、それは…」
綺麗な男の人の真剣な顔って怖い。
私は緊張しすぎて声が震えてしまった。
斯波さんのイメージは紳士で穏やかで優しそうで、って言おうとしたけど言葉が出なかった。だって、今まで見ていた優しいイメージの斯波さんじゃないんだもの。
こんなこと言ったら変だけど、すごく男の人って感じた。
「ごめん。怖がらせたかな」
「い、いえ」
「もし麻友ちゃんの持つイメージと本当の僕が違っていたら嫌?」
「―― え…?」
「麻友ちゃんが好きなんだ。僕と付き合って欲しいって思ってる」
―― 恋人として
あまりにも想像していなかった言葉を聞いて、私は今度は別な意味で身体が震えた。
その時、偶然にも中年婦人グループから高らかな笑い声が起きる。私は、一瞬自分が笑われたような気がしてしまった。
「か、からかわないで下さい」
とっさに出た言葉は、それだった。
「からかっていないよ。僕は真面目に言っているんだけど」
「で、でも。そんな…突然だし…」
だって、信じられないもの。斯波さんが私にそんなこと言うなんて。
「突然じゃないよ。さっきも言った通り、ずっと前から君を知っていた。梅雨になってもう会えないと思っていたら、偶然入ったあの店で君を見つけた」
「僕があそこに通っていたのは君に会いたかったからだよ」
斯波さんの口からは信じられない言葉が次から次へと出てくる。もう、まわりの音は何も聞こえなくなっていた。聞こえるのは、自分の心臓の音と窓を打つ雨音だけ。
「―― 本当だよ」
雨のカーテンが私たちを包む。ここはふたりだけの世界になった。
2011-05-24
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