「ごめん。ちょっと急ぎ過ぎたかな」
突然の告白に言葉も出せずに固まった私を見て、斯波さんは困ったように微笑んだ。
ずっと見ていたのは私のはずだった。雨の日だけに来る素敵な人。仕事の合間にこっそりと盗み見していたのは私だったのに。
「どうして、私なんかを…」
そう、そうよ。斯波さんはこっそり思われることに値する人。でも、私は……。
「麻友ちゃんは素敵な人だよ。君は僕が持っていないものを持っている」
「そんなことありません。斯波さんはとても格好いいし、大きな会社に勤めているし。私なんか――」
「ストップ。それ以上は言わないで」
私なんか会社はリストラされたし、見た目だってごく普通だし…って続けようとして、斯波さんに止められた。
その時の斯波さんは、少し怒っているようだけど、どこか寂しそうな顔。私、何か悪いこと言っちゃたのかなって不安になってしまった。
「外見とか会社とかは関係ないよ」
「でも…」
「麻友ちゃんには、僕の中身を知ってもらいたい。本当の僕を好きになってもらいたいんだ」
「本当の…斯波さん?」
「うん、そう」
目の前にいる斯波さんでも十分なのに、それ以上の何を知ればいいんだろう。もっと、違う斯波さんがいるの? 私がそれを知る資格があるの?
私は斯波さんを見つめたまま考えて込んでしまった。その長さは、自信のなさときっと比例している。
「どうかな?」
「えっと…」
ずっと素敵だなって思っていた人だもの。すぐにでも「はい」って言いたかったけど、まだ信じられない私が答えるのを躊躇わせる。
すると斯波さんは「うーん」と考えて、あの綺麗な指を私の目の前にぴんと立てた。
「じゃあ、提案」
「提案?」
「すぐに結論は出さないで、お試しでつきあうっていうのはどう?」
「お試し…」
なんて甘い提案なんだろう。こんな素敵な人とお試しで付き合うなんて。
「そんな贅沢な提案…。いいんですか?」
「贅沢かな。僕はすごく不安なんだけど。麻友ちゃんに嫌われないか」
「ま、まさか。嫌うわけありません。それを言うなら――」
どう考えてたって私の方が可能性ありです。って言おうと思ってふと気づく。
―― お試しする必要、あるのかなって
だって、お試しなんてしなくても、私は斯波さんが好きなのに。ただ、自信がないだけ。それだけ。
でも、せっかくこんな甘い提案をしてもらったんだもの。いいや。その提案に乗ってみよう。
「あの、お試し期間はどのくらいですか?」
「そうだね。じゃあ、麻友ちゃんが僕のこと好きって思ってくれるまで。いいかな?」
「……」
やっぱり意味ないかも。
でも、私は「はい」 と頷いた。もしかしたら、覚めてしまう夢かもしれないけどそれでもいい。こんな素敵な夢なら見るだけでもいい。
すると斯波さんは、ふうと大きな溜め息をついて椅子の背もたれに身体を預けた。
「良かった。緊張したよ」
そう言って笑った斯波さんは、今まで見たことのない少年のような笑い顔だった。あ、今までのイメージと少し違うかも。
さっきまで聞こえていた雨音が止んでいた。雨が上がっている。
柔らかな光が大きな窓ガラス窓から差し込んで、コップの水がキラキラと光を反射させて綺麗。
「綺麗だね」
斯波さんも同じことを思っていたのか、私の顔を見て優しく呟いた。
「ええ。お水が」
「麻友ちゃん」
ああ…、同じこと思ってませんでした。斯波さんは。
私は、頬杖をついてこちらを見ている斯波さんを、困った顔で睨みつけた。
「そういうのはダメです」
「どうして?」
「そういう言葉には慣れてませんから、私」
斯波さんの言葉は甘い。今まで言われた経験のない私には、とてもこそばゆくて。
「これも僕です。お試しの間に慣れて下さい」
顔を伏せる私に、斯波さんは悪戯な顔で微笑んだ。
私、こんな幸せでいいんでしょうか。神様。
―― ねえ、斯波さん。 お試しが終わった時、私のこと嫌いになったって言わないで下さいね。
って、私は心の中で小さく呟く。
「―― はい、努力します」
やっとのことで返事を返し、口にしたミルクティはすっかり冷めていた。
2011-05-25
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