駅に着いたのは、待ち合わせの5分前。マスターが気を利かせてくれたから、お化粧直しをしてギリギリセーフ。待ち合わせ場所は、A7出口。いつも使っている駅だからすぐにわかった。
A7出口に近づくと、微かな人のざわめき。何かしら?と見ると、ざわめいているのは女の子ばかり。
すぐにピンときた。斯波さん、もういるんだ。
―― あれ。
待ち合わせ場所には、斯波さんともうひとり男の人がいた。
少し癖のある黒髪と日に焼けた肌。まるで斯波さんと正反対の男の人。同じなのは、ふたりとも長身でやたらとカッコイイこと。どこかの漫画にあったけど、斯波さんが白王子なら、その人は黒王子って感じ。
でも困ったな。これじゃあ、ますます近づけないよ。
「じゃあな。斯波は明日休みだっけ」
「ああ。悪いな」
私がオロオロしている間に、黒王子は斯波さんに別れを言いノッポビルの方へ歩いて行った。 そっか、会社の人か。こんな人がふたりもいたら、女子社員は仕事にならないかも。
「まーゆちゃん」
「ひゃっ、し、斯波さんっ!」
「何、隠れてるの?」
黒王子をぼんやり見送っている私を、斯波さんが見つけた。
「今の人、会社の人ですか?」
「え?―― ああ、そう。同僚だよ。見てたんなら声かけてくれたらいいのに」
いえいえ、それは色んな意味で無理です。 私はぶんぶんと頭を振った。それを見て、またクスクス笑っている。もう…
でも、斯波さんのスーツ姿、素敵。前に1回しか見たことないけど、ついつい見惚れてしまう。
「麻友ちゃん?」
ぽぉとしていた私の顔を、斯波さんが覗きこんだ。もう、だめだめ。それより、言わなくちゃ。 ほら。
「斯波さん」
「ん?」
「―― お帰りなさい」
「うん、ただいま」
私が「おかえり」を言うと、斯波さんは嬉しそうに目を細めた。こんな素敵な人に、こんな顔をさせられるなんて幸せ。嘘みたいな幸せ。
「はい、これ」
斯波さんが差し出したのは、お土産のロールケーキの箱。ちゃんと忘れずに買ってきてくれた。
「麻友ちゃん。夕食はまだでしょ?」
「はい。さっきまでバイトだったから」
「じゃあ。どこかで食べて行こうか。このまま家に行っても何もないから」
このまま家…と、言う言葉にドキンとする。やっぱり、斯波さんの家に行くんだ。…私。
「さ、行こう」
「はい」
私は、ふわふわと雲の上を歩くような足取りで斯波さんの後を追いかけた。
「麻友ちゃんの実家はどこなの?」
夕食に入った店は、小さなイタリアンカフェ。私たちは、マルゲリータピザとパスタを分け合って夕食を済ませることにした。
「うちは関東の田舎です」
「独り暮らししているのは、前の勤め先の為?」
「はい。でも、実家には兄夫婦が入ったのでそれのせいもあります」
「そう。じゃあ、もう戻る予定はないんだ」
「そうですね。もう、戻るところがない…かな?」
リストラされた私が、苦労しながら一人暮らしをしている理由のひとつはそれ。そして、もうひとつの理由は。
「でも、独り暮らし好きだから」
「好きなの?」
「はい。好きな物に囲まれて自由に暮らせますから」
私は、自分の生活が好き。小さな些細なことも丁寧にするようにしている。ご飯もきちんと作っているし、掃除や洗濯も好き。部屋の小物だって吟味して選んでいる。毎日のことだもの。楽しい気持ちで生きていきたいの。
決して贅沢な暮しではないけど、私は満足して大切に暮らしている。
「麻友ちゃんの部屋は、きっと好きな物で溢れているんだろうね」
斯波さんがコーヒーを飲みながら、小さく笑った。その笑いの意味が気になる。
「じゃあ、斯波さんの部屋はどんな感じなんですか?」
「僕の部屋?」
「はい」
私が頷くと、斯波さんはコーヒーを飲みながら少し上目遣いに私の顔を見た。
「それは麻友ちゃんの目で確かめて」
ボンっと顔が赤くなった気がした。一気に喉が渇き、慌ててアイスティで潤す。良かった、今日はアイスにしておいて。
そんな様子を斯波さんは楽しそうに見ている。もう、やだ。
「大丈夫?」
アイスティを飲みながら、私がコクコク頷くと、斯波さんはカチャンとカップをソーサーに置いた。
「さ、そろそろ行こうか。デザートは家で食べよう。ね?」
斯波さんはケーキの箱を持って立ち上がった。
「こっちだよ」
濡れた夜の街をふたり手を繋いで歩く。今日も彼の手は私をドキドキさせる。ううん、いつもよりずっとかも。こんなんで、私、ロールケーキなんて食べられるのかしら。 それより私の心臓、止まってしまわない?
甘い予感が、少し不安にさせる夜の始まりだった。
2011-06-07
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