「どうぞ」
そう言って案内された斯波さんの部屋は、信じられないほど殺風景な部屋だった。散らかっているとは思ってなかったけど、ここまでさっぱりしているとも思ってなかった。レザーのソファとガラスのローテーブル。後は、必要な電化製品くらいしかリビングには見当たらない。
「なんにもないでしょ?」
斯波さんは、スーツの上着を脱ぐとキッチンに向かった。ケトルに水を入れお湯を沸かしている。そのキッチンも使った形跡があまりない。
「あのう…ここに、住んでいるんですよね?」
私は思わず確認してしまった。
「そうだよ」
斯波さんはケーキの箱を開けるとナイフで切り分け、食器棚からお皿を1枚出し切ったケーキを乗せた。
「コーヒー、インスタントしかないけどいいかな」
「えっ、ああ、はい。あ、あのお構いなく」
部屋のことに気を取られていて、私ったら斯波さんにお茶の用意をさせていたことに今頃気づいた。でも、初めて来たのにキッチンにまで入っていいのかわからないし。取りあえず、ここはお任せすることにした。
「麻友ちゃん、こっちにおいで」
斯波さんは、ケーキ皿とカップをリビングのローテーブルに置く。そして、自分のカップを手に持ち私を近くに呼んだ。斯波さんはソファに腰掛け、私はローテーブルの置いてあるラグの上に座った。
「斯波さんは食べないんですか?」
テーブルの上には、私のぶんのケーキだけ。
「うん。甘いのはあまりね」
「そうですか……」
せっかく美味しそうなケーキなのに勿体ないな。こんな美味しいものを苦手なんて、男の人って人生少し損をしていると思う。
「チョコのロールケーキって珍しいですよね」
「そうなの?よくわからないから、人気のあるお店で買ったんだけどね」
私は、生チョコでコーティングされたケーキにフォークを入れ、切り分けた一切れを口に運んだ。
―― あれ……
噛みしめた瞬間ブランデーの香りがふわんと口に広がった。外からはわからないけど、ケーキの中心にお酒を含ませたフルーツが入っている。どうしよう。ブランデーがキツイ。
「麻友ちゃん、どうかした?」
「―― ううん、なんでもありません」
自分で買ってきてって言ったのに、まさか苦手ですとは言えず、私はそのまま食べ進めた。
コーヒーを飲みながらその様子を見ていた斯波さんが、私の手を止める。
「それ、味見させて」
「え…、この食べかけですか?」
「うん」
斯波さんは、私の食べかけを口に入れると納得したように頷いた。
「これ、結構アルコール利いてるね。麻友ちゃんにはキツイんじゃない?」
「そんなことないです。美味しいです」
私は無理にケーキを頬張る。だって、せっかくのお土産なんだもの。でも……
「ごめんなさい……」
私は、ギブアップをしてフォークをお皿に戻した。
「いいよ。ちゃんと見なかった僕も悪いんだし」
「すみません…」
「ホントに気にしないで。あんなにブランデーの強いの食べて、この間みたいに麻友ちゃんが酔って寝ちゃったら困るし」
少し冗談ぽく、あの告白の時の失態を言われて、私はもっと身体を縮めた。
「あ、あれは…。車の振動が気持ち良くて…寝ちゃっただけです…きっと」
「ふうん。じゃあ、尚更まずいな」
「…?」
ぼそりと呟いた言葉に私が首を傾げると、斯波さんはクスリと笑って座っていたソファをぽんぽんと叩いた。
「麻友ちゃん、こっちにおいで」
そ、それは隣に来いってことですか。うう…、今の状態でいっぱいいっぱいなのに。
でも、斯波さんの言葉に私は座っていたラグから腰を上げ、少し離れたところに腰を下ろした。すると、またぽんぽんとソファを叩いて呼ばれる。
「もっとこっち」
そろそろと腰をずらし斯波さんの隣に並んで腰かける。ああ…、やっぱり私の心臓は止まってしまいそうです。チロリと斯波さんを横目で見上げると、背もたれに肘をかけ私を見ている視線とぶつかった。 私は慌てて下を向く。
「ずっと会いたかったよ。麻友ちゃんは?」
斯波さんが私の身体を包みこむように抱き締めた。その温もりと重さと、傍で聞こえる声に胸がきゅっとなる。
「わたしも…」
そんなの決まってる。 1週間、ずっと斯波さんのことばかり考えてた。本当は、あの日のように斯波さんの胸に飛び込んでしまいたいけれど、1週間のブランクで羞恥心が私を躊躇わせる。
それでも、精一杯の勇気を振り絞って身体の力を抜き、斯波さんの胸にそっと寄りかかった。
「今日は麻友ちゃんのこと、もっと教えて」
そう言われてしたキスは、ちょっぴりチョコの味がした。少し苦い大人の味。くらりとするブランデーの利いたビターチョコのキス。
2011-06-09
Copyright(c) 2010-2011 Tukino all rights reserved.