雨の日は一緒に 


プリティ・ウーマン

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部屋に広がるコーヒーの香り。絢斗さんはソファに私はラグの上に座り、2杯目のコーヒーを飲んでいた。

「麻友ちゃんは、どっか行きたいところある?」   
「行きたい所…ですか?」  
「デートだよ。どこか行ってみたいところがあれば、今日でも次でも行くよ」

 うーん、行きたいところかあ。絢斗さんと行きたいところはたくさんある。でも、一番行きたいところは。    
 
「じゃあ、映画かな」
「映画? 映画好きなの?」

 私がコクリと頷くと、絢斗さんは少し意外そうな顔をした。

「でも、映画館に行くことは少ないんです。たいてい、家でDVDを見て済ませちゃいますけど」  
「ふうん。―― どういう映画が好き?」  
「んー、見るのは新作が多いけど、好きなのは古い恋愛映画かな」

 一番好きな映画は、街で身体を売っていた女の人が素敵な人と巡り合って、どんどん綺麗になっていくシンデレラ・ストーリー。もう情景が目に浮かぶほど何回も観ている。
 あ、そう言えば…。ずっと気になっていたことをふと思い出した。この映画のひと場面で、すごく好きな場面。

「あの、聞いていいですか?」
「ん、なに?」
「シャンパンって苺を食べながら飲むと美味しいんですか?」

 絢斗さんは、飲んでいたコーヒーカップから口を離し聞き返した。

「イチゴとシャンパン?」 
「はい。私の一番好きな映画で、お金持ちの男の人が言っていたんです。苺を食べてからシャンパンを飲むと美味しいって」
「へえ…どうなんだろ。残念ながら試してみたことないよ」  
「そうですか……」
 
 なんだ、残念。  

「その映画ってDVDであるの?」
「え、はい。私、持ってますよ」  
「ふうん。じゃあ、今度一緒に見ようか」  
「一緒に…ですか?」
「そう、一緒に。ここで」

 持っていたコーヒーカップはテーブルに置かれ、絢斗さんは足元に座る私の顔を覗き込むように窺う。ものすごく近づいた顔が「ね?」と私に問いかけた。

「あ、あの…」

 顔にかぁと血が昇った。もう、ずるい。私はまだ、彼のちょっとした仕草や行動ですぐにドキドキしてしまう。さっきまで落ちついていた鼓動が暴れ出しちゃったじゃない。そんな私を見て、絢斗さんはどこか楽しそうにしているし。

「映画館じゃなきゃ嫌かな?」  
「ぜ、全然、嫌じゃありません。―― 見たいです」

 一緒に見たい。いつも家でするように、お菓子や飲み物を用意して暗くした部屋での上映会。いつもはひとりだけど、ふたりならきっと楽しいに違いないもの。  
 絢斗さんは、私の返事を聞くと自分の膝元にある私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。
 
「よし。映画はそれに決まり。じゃあ、今日は―― 」

 と、絢斗さんが言いかけたところで、絢斗さんの携帯が鳴った。不粋な震動音に私たちは会話を止め、ふたり同時に発信源に目を向ける。携帯は震えながらいつまでも光を点滅させていた。

「電話…みたいですね」
「―― そうだね」

 絢斗さんは、はぁと溜息をついて私の頭から乗せていた手をどかした。「ごめんね」と言ってソファから立ち上がり、キッチンカウンターに置いてあった携帯を手に取る。  

「はい。―― ああ、君か。何…」
 
 驚くくらい低くぶっきら棒な声。私は、弾かれたように絢斗さんの顔を見上げた。

―― 嘘、絢斗さんじゃないみたい。

 絢斗さんは私に「ごめん」と謝る手振りをすると、話しながら寝室に入っていく。寝室の扉を閉めたのは、私の知らない彼。仕事の時の彼は、ああなんだ。知らなかった。さっきまで心も身体も傍にいたのに、1本の電話が私と絢斗さんに距離を作った感じがした。
 扉の向こうからボソボソと話す声が聞こえてくる間、私はぼんやりと膝を抱えて絢斗さんを待った。

「ごめん、麻友ちゃん」  

 間もなく、絢斗さんが戻ってきた。いつもの彼だった。でも、その表情は冴えない。少し不満気な顔。
 
「何かあったんですか?」
「うん、会社から。ちょっと急用が入っちゃってね…」  

 電話の用件は呼び出しだったらしい。絢斗さんは申し訳なさそうに私に告げた。
 
「いいですよ。仕事ならしょうがないし」

 本心は残念な気持ちでいっぱいなのに。私は、この状況での定番な言葉を言う。素直じゃないけど「イヤ」なんて言えるわけないし。

「ホント、ごめんね」  
「ううん」
 
 私が首を振ると、絢斗さんは溜め息をつきながら髪をかき上げた。

「せっかくどこかに行こうかと思っていたのに……」  

 ドサリと私の横に腰を下しながら、愚痴をこぼすように呟く。

「もう、すぐに行くんですか?」
「あ、ううん。夕方までに行けばいいらしいから、まだ大丈夫だよ。麻友を送ってから出社するよ」  
「えっ。いいですよ、私はひとりでも帰れますから」
 
 慌てて辞退する私に、絢斗さんは私の手を取った。

「送るくらいさせて」  
「でも…」
「遠慮しないで。本当は、少しでも一緒にいたいんだ」 

 困った顔の私に、にこりと微笑むと、腕を肩に回された。ラグの上に座る私と絢斗さん。絢斗さんは私を引き寄せると、胸元に倒れた頭の天辺に唇を寄せた。  

「また連絡するから」

 静かな部屋で、私たちはもたれ合うように身体を寄せた。そうしていると、さっき感じた絢斗さんとの距離は嘘みたいに感じる。傍で感じる息遣いと温もりに、私は目を閉じる。
 
「はい」
 
 絢斗さんの言葉に頷きながらも、心に残った小さな棘がチクリと痛んでいた。こんなに優しくされて、傍で感じる絢斗さんは今までと変わらないのに。私ったら変。
 さっき、携帯から微かに漏れてきたのは女の人の声だった。きっと会社の人なんだろうけど…。別な女の人に呼ばれて行ってしまうのが、こんなに嫌って思うのは我儘なのかな。私の知らない彼を知っている彼女に、「君か」と言われる彼女にヤキモチを焼くなんて。私、贅沢になっちゃったのかな。
 こんな気持ち、絢斗さんには絶対に言えない。  

「待ってますね…」
 
 その言葉には色んな意味が込められていた。絢斗さんは私のそんな気持ちを知らずに、微笑みながら頷く。とても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私は「ごめんなさい」と思いながら、絢斗さんの綺麗な指に自分の指を絡ませた。

 

 

 

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2011-06-15


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