神戸に来て初めてのクリスマス。
私はクリスマス・イブの晩をバイト先で迎えていた。
今度のバイト先は、以前の古い珈琲喫茶よりもずっとお洒落な珈琲専門店。
働いている子も私より若い大学生が中心だった。
イブの晩にシフトを組まれてしまった残念なバイトは、大学生の女の子ふたりと男の子ひとりと私の計4人。
「こんな日にシフトが入ってるなんて最悪」
「ホント……」
「あーあ、あのカップルこれからディナーかなぁ」
「ホント、やってらんないわよ」
おしゃべりをしていた若いバイトの女の子が、カップルだらけのフロアを見渡し羨ましそうにぼやく。
この店は絶好の待ち合わせ場所になっているようで、次つぎとカップルが合流していく。
確かに、こんな日にバイトは嫌だよね。
私はふたりの会話に心の中で大きく頷いていた。
すると……。
「戸田さんはイブなのにバイトに入っていて憂鬱じゃないんですか?」
黙ってソーサーを拭いていた私に突然話題が振られた。
「えっ、ええ…。うん…大丈夫かな」
今日は絢斗さんも普段通り仕事。
だから私も、クリスマスのシフトに苦労していた店長を見かねて、いつも5時までのバイトを今日は8時まで延長することにしたのだった。
「大丈夫」と言った私に、その子たちは小さく頷きあうと更に聞いてきた。
「私、ずっと聞きたかったんですけど、戸田さんってここ(地元)の人じゃないですよね?」
「ええ。こっちには最近引っ越してきたの」
「やっぱりそうなんだ。えっと、関東から?」
「そう。東京」
地元の人間でもないし、学生でもなく主婦にも見えない私はどうやら興味をもたれていたようだった。
そういえば、ここで自分のことって話したことないな。
でも、どうしよう……。
なんか、ふたりの目が興味津津に輝いている。
「あのう、戸田さんって……」
ふたりが遠慮がちに続きを聞きかけた時、カウンターの奥から声がかかった。
「戸田さん、悪いけどラテアートお願い出来る?」
もうひとりの男の子のバイトがカウンターのところで手招きをしている。
「あ、はい」
私は、話の途中になっていた女の子に「ごめん」と謝る仕草をすると男の子のところへ駆け寄った。
実のところホッとしていた。
だって、仕事中に話すには今の自分の立場は難しく、なんて言っていいかわからなかったから。
まだ入籍もしてないから今の状態は同棲っていうのかな。
婚約者とはいえ、同棲しているっていうのは少し嫌だった。
「えっと、このカップに描けばいいですか?」
私はカウンターに近づくと、用意されているカップを指差した。
「そう。ハートでもリーフでもいいからお願い出来る?」
「はい。じゃあ、クリスマスツリーとかどうかな」
「え、描けるの?」
「はい」
ラテアートはあの珈琲喫茶のマスター教えてもらった。
あそこはここの店みたいに忙しくなかったから、お客さんのいない時間にマスターは色々と教えてくれた。
ハートはわりと簡単で、要領をつかめば自分でアレンジも出来る。
私はひとつはハート、もうひとつにツリーを描いた。
「すげぇ……」
男の子は私のラテアートに感嘆の声をあげ見惚れていたが、すぐに気づき慌ててバイトの女の子を呼び手渡した。
ラテアートは泡が消えないように素早く運ばなくちゃならない。
私の描いたラテは、カップルの席に届き、カップを見た瞬間嬉しそうに微笑むのが見えた。
「戸田さん、凄い。上手ですね」
バイトの男の子は改めて感心したように褒めてくれた。
純粋に褒めてくれる言葉が嬉しくて。
「ふふ。ありがとう」
私は背の高い彼を見上げるように笑いお礼を言うと。
「……っ!」
何故か彼にすっと目を逸らされた。
「……?」
その不自然さに「あれ?」と思った時、バイトの女の子の小さな歓声が聞こえ私たちは揃ってそちらを向いた。
女の子たちは、フロアに入ってきた人を見て目を輝かせている。
つられてそちらを見ると―――。
――― え、えぇ。あ、絢斗さん?
店に入って来たのはコートの襟をたてた絢斗さんだった。
絢斗さんは店内をぐるりと見渡し私を探している。
「やだぁ、あの人も待ち合わせかぁ」
明らかに人を探している様子にバイトの子は口を尖らせ落胆の声をあげた。
―― う、うわ。困った。
絢斗さんが来てくれたのは凄く嬉しかったけど、今の状況での絢斗さんの登場は少し困る。
だけど、私に気づいた絢斗さんがこっちに向かって微笑むのに、バイトの女の子はすぐさま気づいてしまった。
そして驚いたように振り返って私を見る目が……痛い。
っていうか、怖いよ。
私は何も知らずにこちらを見ている絢斗さんに、少し困りながら小さく手を振りかえしたのだった。
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