雨の日は一緒に   《絢斗編》


傍らのぬくもり

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 訪れた美術館は冷房が強く、少し蒸し暑い外と反対に涼しいというより少し寒いくらいだった。

「寒くない?」

 外の気温と人混みを計算して設定しているのだろうが、ジャケットを着ている僕に丁度いいくらいだ。半袖のサマーセーター1枚の彼女にはきっと肌寒いだろう。

「いえ、大丈夫です」

 でも、彼女は受付で入場券と交換でもらったパンフレットを胸に抱き「ううん」と首を振る。

「そお?」
「はい。少し暑かったから気持ちいいくらいです」
「ならいいけど…。じゃあ、行こうか」
「はい」

 遠慮しているのかな、と思いつつも大丈夫という言葉に、僕らは人ごみに押されるように順路に従って館内を歩き始めた。



「…くしゅん」

 しばらく歩いていると彼女が抑えるようなくしゃみをした。

「す、すみません」

 静かな館内にそれは思ったより響き、彼女は赤面しながら僕やまわりに小声で謝る。口元を押さえている手。半袖から伸びた腕には鳥肌がたっていた。
 やっぱり彼女は我慢していたのか。

「これ、羽織って」

 僕はジャケットを脱ぐと小声で言い、彼女の肩にかけた。

「やっぱり寒かったでしょ」
「だ、だめです。それじゃあ斯波さんが…」

 肩にかけられたジャケットを返そうと慌てふためく彼女。どこまで遠慮がちなのか。きっと彼女の性分なのだろう。

「大丈夫。男の方が体温が高いんだから」
「でも」
「それにまた風邪ひかせるわけにいかないし、ね」
「あ…。…すみません、あの…お借りします」
 
 その言葉にようやく納得した彼女は、僕のジャケットの襟元を合わせ暖をとるように首をすくめた。そして、「温かい…」とほっと息を吐くように呟くと、こちらを見て小さく頭を下げる。  
 そのなにげない仕草に、何故か僕の胸に今まで感じたことのない温もりがあふれた。

「参ったな…」

 思わず口から漏れた呟きに彼女は不思議そうに首を傾げる。

「あの…?」
「ううん…なんでもないよ。さあ、続き、見ようか」
「はい」

 きっとこの温もりの正体は「幸せ」とか「愛おしい」とかなんだろう。たったこれだけのことでそんな気持ちになるのなら、いったいこれからどうなってしまうのだろう。彼女と始まるこれからを想像して口元に笑みが浮かぶ。

 冷えた館内の空調に晒された腕は次第にひんやりとしていく。だけど、傍らから感じる温もりは、そんなことすら気付かせなかった。






「これ、ありがとうございました」

 館内の出口で彼女は肩にかけていたジャケットを外すと僕に差し出した。

「いいえ」

 僕は彼女の温もりの残ったジャケットに袖を通す。

「あのね、もうひとつ行きたいところがあるんだ」
「行きたいところ…ですか?」
「うん。こっちだよ」

 そして、彼女をあの庭園へと誘った。


「ここ、素敵ですね」

 思っていた通り、彼女は花が咲き乱れる庭園を嬉しそうに早歩きで見てまわった。
 今にも雨が降り出しそうな空が残念だったけど、花から花へ蝶のように渡り歩く彼女を見ているのは楽しかった。歩くたびに揺れるスカート、輝く笑顔。その姿を見て、今朝、ここに来るのに車と電車を悩んだが電車にして正解だとふと思った。

 今日の彼女と車でふたりきりになって、唇を奪わない自信がない。

 いつもの彼女はジーンズにコットン素材のシャツ、長い髪はひとつに束ねられている。
 でも、今日の彼女は違う。
 身体のラインが出るニットのセーターと膝丈のスカート。普段目にすることのない小さな膝小僧や柔らかそうな二の腕が露わになっている。おろした髪は健康そうに輝いていて、いつもよりもずっと女らしく大人びた雰囲気だった。

「やっぱり麻友ちゃんはこっちが好きか」

 かと言って、気になる子を車に乗せる。その奥にある男の下心にすら気付かないであろう彼女にそんなことを出来るわけもなく、ましてやそれで彼女を失うことなどあったら元もこうもない。
 なら、正攻法でいくしかない。

「やっぱり…って?」

 不思議そうな顔で君が振り返る。

「黙っていたけど、僕ね麻友ちゃんのことずっと前から知っていたんだ」
 
 僕は彼女を誘う。彼女の笑顔も温もりも、彼女のすべてを自分のものにする権利を手に入れるために。

「あそこに、お茶が出来る店があるから。そこで話そうか」  
 
 まるで物語から抜け出したような建物へ。

「さ、行こうか」

 差し伸べた手をやはり遠慮がちに掴んだ彼女の手は柔らかく、そして暖かった。




 

 

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2012-07-01


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